遭難者の救助や捜索に当たった後亡霊に悩まされる者が居る
2016/12/26
亡霊ではなく、幻覚かも知れない。
せっかく発見したのに、すでに死亡していた男性。
メモを見ると、昨夜までは確かに生きていた。
メモの最後の一行には、自分を発見しない捜索隊への
恨みがつづられていた。
この一行を書くとき、すでに彼の思考は乱れ、一種の混乱状態に
陥っていたに違いない。
捜索隊員の一人は、そう考えることで、自分への慰めとした。
発見時、自殺していた男性。
同行していた女性は数日前、すでに死亡しており、男性は
自責の念から、タオルで首を吊ったのだと断定されたが、
彼の顔は傷だらけで、女性の遺体の爪には、その男性の皮膚が
食い込んでいた。
雪崩に巻き込まれ、押し潰された体から内臓が露出していた女性。
冷凍状態だった内臓の鮮やかな色は、決して忘れられないだろうと
言って大きくため息をついたのは、本職の救助隊員ではなく、
捜索に駆り出された地元青年団の一人だった。
彼らの多くは、遭難者の霊に、夢や現実の世界で追い回され、
恨み言を並べられ、恨みがましい視線を浴びた経験を持つ。
逆恨みといって良いが、相手の感情ばかりはどうにもならない。
遭難者の家族から罵倒されたりする事もある。
息子を発見できないなら、死んでも帰ってくるなと言い放つ親。
崩れそうになる弱い自分を支えようと、とんでもない人格が
表面に現れ、感情が爆発する。
逆恨みの遭難者の亡霊に悩んでいる、元・捜索隊員は言った。
亡霊より、キレた家族のほうが、よっぽど怖いぞ。
無論、そうした家族は、ごく少数だという注釈つきだ。