山で言ってはいけない言葉
2016/12/26
行った時の事。
山深く迷信も多いその地域では、「猿・犬・猫」などの言葉を山へ行く前や
山に入っている最中には口に出さない様にと両親から強く言い付けられて
いたらしい。
が、ちゃんとその言い付けを守っていた兄とは対照的に、弟は山に入って
しばらくするとふざけて「猿」を連発。
いさめる兄の言葉も聞かず、弟はずっと「猿」を言い続ける。
すると、にわかに山が陰り、驚いて空を見上げた兄は今迄快晴だったのが
嘘の様に真っ黒な雲が生まれて自分達の頭上に集まり出しているのに気が
ついた。
辺りの雰囲気も妙にざわざわと落ち着きがなくなり、不吉な物を感じた兄は
弟を怒鳴りつけて黙らせ、拾った木を放り出して慌てて家に逃げ帰った。
息を切らせながら戻って来た彼らを、家に居た父(私の祖父)は説明される
前に「お前ら、山で要らん事言っただろう!!」と指摘。
何故分かったのかと聞いた兄に、父は「庭先から山を見ていたら、物凄い
勢いで雲がある一部分に集まって行き、しばらくすると消えて行った」と
答えた。
勿論、そのある一部分とは彼らが薪拾いをしていた辺り。
取りあえずひとしきり怒られてから事の次第を説明した兄は、父に「お前が
気が付いてなかったら、帰って来られなかったかもしれない」と言われた
そうだ。
ちなみに、この弟と同じ事をやって大けがをしたり、おかしくなって帰って
来たりした人も居るらしい(父談)
お陰で私も山に入る時は注意している。
はっきりとした理由は聞いた事は有りませんが、祖父と父の話では、
四本足の動物全般を言わない方が良いとの事です。
猟師の場合、獲物の名前を言うのは仕方の無い事ですが、みだりに
連呼するのは未だに禁じられている様で。
確かに、山の神や山自体の雰囲気を壊す物として受け止められている
のかもしれません。
ちなみに509はもう50年程前の話。大けがをした人は犬とか猿を連呼した直後に片側が崖になっている
山道で足を踏み外し、何十メートルも滑落した結果、折れていない
場所を探す方が少ない程ありとあらゆる場所を骨折した状態で発見
されたそうです。
私はこれらの事が偶然でも何でも単純に試すのが怖いので、山に入ると
自然と無口になります。
また山でしか使わない言葉があり、獣は里とは異なる名前で呼ばれていた、とも。
調べてみると、海にも同じような言葉があって、
やはり猿は別の名前で呼ばれていたようですね。別のスレで見た猿に憑くモノの話といい、
猿にまつわるタブーや怪異には、個人的に興味深いものが多いです。
マタギ言葉
マタギは、山の中ではマタギ言葉という特別な言葉を使い、里で使われる言葉が山で使われることを忌避した。例としては「死ぬ」を「サジトル」と言い、「クマ」を「イタズ」と呼ぶ、などである。また、それ以外にも口笛を吹くこと、女性と会話したり、身体に触れたりすること、鉄砲をまたぐことなど、禁忌事項も多くあった。厳しい雪山の自然に立ち向かってきたマタギには、「山は山の神が支配する場所、そして熊は山の神からの授かり物」「猟に入る前には水垢離(みずごり)を行う」など独特の信仰を持ち、獲物をしとめたときなどには特別の呪文を唱えるという。
マタギの信仰する山の神は醜女であるとされ、より醜いオコゼを供えることで神が喜ぶとされた。マタギ発祥の地と云われる阿仁では戦前まで、一人前のマタギとして集団に属する儀式(成人式)の際、新成人はハト(ペニス)をいきり立たせて狂い踊り、山の神との象徴的な交合を行って結婚をする儀式(クライドリ)が執り行われていた。これはマタギ衆以外に公言することが禁忌とされはばかられていたが、戦後の民俗調査での聞き取り記録で明らかになった。
これらの風習について、アイヌ文化の影響を指摘する声がある。また、マタギ言葉もアイヌ語との類似性を指摘されている。これらのアイヌ文化とマタギ文化の類似性は、紀行家の菅江真澄によって江戸時代から指摘されていた。
禁じ物(きんじもん)
山の中で言ってはいけない言葉。女に関する言葉、殺す・死ぬに関する言葉などで、この禁を犯すと厳重な罰があった (秋田) 百村・板室でも「猿」をサルと言ってはいけない、という決まりがあった。皆「オンツァマ」と呼び、サルと誰かが言うと、もうその日は山に入らない。昔岐阜県から木流し(木を川に流して運ぶ人)が来た時も、サルという言葉を聞くと「仕事に出ないから、今日の手間賃は出せ」と言ったという。サル=去るで死を匂わせる響きがあるためか。明治期ごろには一般でもサルという言葉を忌み嫌い「山の人」と呼んだ。山の神は女だから、女は(嫉妬するから)山に行くもんじゃないとされた。祭りのときも正月7日の山入りの時も同じである。(那須山麓の民俗)