水が少なくなった滝を登っていたら何かの鳴き声が聞こえた
2016/12/26
掌に吸い付く一枚岩の乾いた冷たさが心を浮き立たせ、指先に感じる小さな
窪みが何とも気持ちよく、気温や湿気、光る空気が心地よかった。
水が少ない滝はルートに幅があり、自分の技術に合わせて、好きな
ルートで登ることが出来る。
俺は右斜めに登り、最後に水を避けて左へ逃げるルートで登っていた。
顔にかかる水しぶきが増え始めた。
そろそろ左へ方向を変えよう、そう思った時、不意に声がした。
何かの鳴き声に思え、耳を澄ました。
人の声だ。
距離は分からない。
言葉は意味あるものとして耳に届かない。
じっと聞き耳を立てた。
水音が邪魔で、やはりよく聞こえない。
下にいる仲間たちの声ではない。
右側、水の流れの向こうから聞こえてくるように思えて仕方ない。
知らず知らず、身体が右に寄った。
左手が岩の窪みを掴み直した時、岩がぐらりと揺れた。
掴んでいた突起がもげ、手ごたえの無いまま左手が宙に浮いた。
バランスが崩れ、右手に力を込めた。
崩れたバランスを回復させようと、全身が力みかえり、呼吸が止まり、
喉が痛くなるほど唸った。
左足に力は入らず、ただ岩の上にあった。
右手右足を支点に、ドアが開くように煽られた身体がじわじわと戻り、
岩が左手の中に入ってきた。
左手中指、力を込め、岩にしがみついた。
「ごめんね」
耳元で男の声がした。
瞬間、水の流れる音が変わり、水が巨大な塊となった。
音と水しぶきが、俺の世界を満たした。
両手から岩肌が失われ、数メートルを滝壷まで落ち、下で待っていた仲間に
引き上げられた。
俺が怪我ひとつしていないことが分かると、心のどこかで何かが外れ、
最初に俺が笑い出し、やがて全員が爆笑した。
仲間たちにとって、今でもそれは不意の増水と、無様に転落する
俺の姿とによる笑い話でしかない。