全ての安定を失い、真下に放り出された
2016/02/12
最後に感じた恐怖とともに、残っている。
アイゼンの爪先と、ピッケルの刃先で真っ青な氷に
引っかかり、バランスを取っていた身体が、
ほんの一瞬後には全ての安定を失い、真下に放り出された。
手首に引っ掛けたピッケルのバンドが、ぴんと張り、
ピッケルは、からからと軽やかに手先で踊っていた。
アイゼンの爪が氷のどこかに当たり、突然、仰向けにされた。
頭は下になり、上になり、時に全身で跳ね回った。
ヘルメットが飛び、頭に、じかに氷を感じた。
衝撃、闇、熱、それら全てが一度にやってきて、消えた。
ひしゃげた格好で倒れている自分を眺め、姿を失った自分が
滝のあちこちに、細く、切れ切れに残っているのを感じた。
昼も夜も、めぐる季節の間じゅう、そこでじっと周りを
眺め、様子を伺っているが、時に、上を目指して登る誰かの
意識が、滝に残る自分の意識に割り込んでくる。
割り込んできた他人の意識の一部が、ひどく突き刺さる場合もある。
滑り落ちてしまうのは、そんな時だ。
声を上げ、あるいは無言で、何も見ず、あるいは全てを見ながら
まっさかさまに、最後に訪れる闇と衝撃に向かって落下する。
今の見たか?
などと聞こえる事もある。
固唾を呑む別の意識を感じる事もある。
願う事は、そう多くない。
斜面に張り付くようにして、じっとしていたい。
恐怖が消えるなら、あるいは癒えるなら、意識が消えても
それでいい。
そして、季節に関係なく常に感じている、この真冬の冷たさ。
意識が消えれば、この寒さも消えてくれるのだろうか。
どうにかしてほしい。