何も見えない時、少し先の峠に灯りを見つけた
2016/02/12
石はあっけなく揺らいだ。
(しまった!)
一瞬宙に在った身体は程なく大地に打ち付けられ、
青褪めた時には、もう、周囲の石たちと滑落していた。
そのまま、ごつごつした大きな岩の上にまともに落ち、
そこへ、後から自分の頭より大きな石が幾つも落ちて来た。
「うわっ!」
俺の身体は5秒で肉がひしゃげ、骨が砕けた…
…どこだか分からないが、道を歩いていた。
周囲はもう、とっぷりと日が暮れており、何も見えない上、
足がちゃんと上がっていないから、小さな石に蹴つまづく。
今、俺はいったい、どこを歩いてる?
ドロドロに疲れ切った身体を、ともかくも前へ進める。
上り坂だが、登っているのか、降りているのか?
ふっと木立が途切れて、少し先の峠に灯りを見つけた。
ものの5分もかかるまい。あそこまで頑張ろう。
古風なランタンを2つ、門柱代わりに下げた小屋、と言うより
平屋建てのログハウスと言った方がいいかもしれない。
その木製の階段を3段上り、扉をノックする。
はい、と言う軽やかな応えがあり、ドアが開いた。
そこには黒い服を着、まっすぐな髪を肩まで伸ばした、
整った顔立ちの青年が驚いたような顔で立っていた。
「予定外の方ですね」
「すみません…」
そこまで言うのが、俺にはやっとだった。
目の前が暗くなった。
ガチャガチャと金属類の触れ合う音と、人の声が飛び交う。
消毒液の臭い。そこに、薬品や金属なんかの臭いが混じる。
何よりも血の、たぶん、俺の血の臭いが濃い。
それに気付いた時から、絶え間ない痛みに襲われている。
「…さん、聞こえますか!?返事して!…さん」
うるさい!聞こえてるさ、十分。ただ、返事が出来ないだけだ。
手足は途中まで痛い。その先はよくわからない。
心臓が拍動する度に、身体が冷え、ぎこちなく固まって行く。
ああ、もしかして、俺死ぬのかな…?
そう思った時、若い男性の鋭い声が響き、無傷らしい部分に
あちこち太い針が打ち込まれる。
流れ込もうとする何かを、身体が無意識に拒否するのか、
思わず身じろぐ自分がいる。
麻酔も打たれたかも知れないが、元々俺に麻酔は効かない。
痛みの奔流が全身を駆け巡る。
かろうじて出せるのは、吐息のような呻き声だけ。
荒っぽく身体が動かされ、その激痛のあまり、俺は気を失った。
ようにして座っている自分がいた。
さっきのあれは何だったんだろう。
目の前に、白いティーカップに入った飲み物が、すっと差し出された。
「どうぞ」涼やかな声で彼が言った。
それは、不思議なハーブティーのような味と香りで、熱くもなく
冷たくもない。けれど、疲労が一時に消えるような気がした。
明日になれば、また歩き出せるだろう。
下山予定は過ぎてしまったが、まだ人を騒がせる程ではない。
「いいえ、それは無理です」
俺の心を見透かしたように、彼はそう言った。
「先程、ご自分の身体に一度戻られて、お分かりになったはずです」
「ご自分の身体って、じゃあ、あれは…?でも、俺は今ここに…」
「ここは、生と死の間の世界。生身の人は来られない所です」
「………!!」俺は死んだのか?
「いいえ」彼は小さくかぶりを振った。「死んではいません。でも、
生きてもいません。ただ、あなたはここに来るべき人ではない」
困惑する俺に、彼は静かに言った。
「あなたはご自分の生死が定まらねば、ここを出る事が出来ません。
例え、私が小屋の戸を開けてさしあげても、今のままではまたここへ
戻ってしまわれるだけです。事が定まるまで、様子を見ましょう」
こうして、俺はこの不思議な小屋の客となった。