冬山のタブー
2016/12/26
別のパーティーと出くわすことがままありますが、そうした場合互いに軽く挨拶します。
しかし、猛吹雪の中では、かつて遭難した死者達のパーティーをも見出してしまうことが
まれにあるのです。彼らはすぐそばで挨拶しても気づかず行ってしまうのでそれと分かり
ます。そうした場合、強いて呼び止めようとしてはなりません。また決して振り返っては
なりません。さもなければ彼らは私達を「救助」に来てくれた者と勘違いして、しつこく
付きまとってくることになります。
私の先輩は、そのタブーを犯してしまい、極寒の高山で生命に関わる禍に見舞われました。
その日、先輩の一行は、かなりの高度で予期せぬ吹雪に襲われ、最も近い山小屋に避難すべく
進行していました。途中、前方から下りてくるパーティーが見えてきました。互いにすれ違う際、
リーダーが彼らに声をかけましたが、相手パーティーは誰一人として応答せず、黙々と下山して
ゆきます。先輩一行のメンバーは、皆はっとした様子で顔を見合わせると、きびすを返して山小屋へ
向かうルートに立ち戻ろうとしました。しかし経験の浅かった先輩はその様子を解しかね、去り行く
相手パーティーに再び「山小屋は逆方向だ!」と声をかけてしまいました。すると最後尾の者が
振り返り「あとで行く」と答えました。この猛吹雪に「あとで」もないものですが、他のメンバーに
せかされ先輩も皆に続いて再び山小屋へ向かい歩き始めました。
凍えないよう暖を取るだけです。ようやく小屋に辿り着いた先輩達一行も、
寝袋に包まり少しでも体温が下がらないようにして吹雪がやむのを待っていました。
その時です、「ドンドンドン」と扉を叩く音がしました。リーダーが「どうぞ」
と答えました。しかし誰も入ってきません。もちろん避難用の小屋の扉に鍵など
かかっていません。「負傷して扉が開けられないのかもしれない」メンバーの一人が
起き上がって扉を開けに行きました。しかし、開けた扉の向こうには誰もいません。
見えるのは相変わらず続く吹雪だけです。「雪が扉を打っただけだろうか」不審に
思いながらも扉を閉めるしかありませんでした。しかし20分ほど経つと再び
「ドンドンドン」と扉を叩く音がしました。今度も扉を開けてみましたが、やはり
誰も居ません。そんなことが繰り返されました。扉を開けるたびに室内の気温は下がって
ゆきます。しかも扉を叩く音の間隔が20分、15分、10分、5分・・・と縮まってゆきます。
誰もが事の異常さに気づいていました。リーダーが「このままでは危険だ、皆もう
扉を開けるな」と命じました。
ほっとした面持ちになりました。しかしそれもつかの間、今度は壁から「ドンドンドン」と
音がしました。皆再び緊張しました。続けて「お~い、お~い」と外から人の声のような音が
聞こえてきます。やがて壁からの音もひっきりなしに鳴るようになりました。壁だけではなく、
天井、床からも音がします。それも段々と乱暴さを増してゆくのです。気味の悪い呼び声も
収まりません。一向は皆壁から離れ、部屋の真ん中で寄り添って、耳を塞いで一晩中不気味な
音に悩まされながら、眠れぬ夜を過ごしました。
朝になると吹雪もおさまりました。外には何事もなかったような銀世界が広がっています。
頂上まではもう少しの地点です。しかし皆疲れの取れない身体を引きずるようにして、ほうほうの
態で下山の途についたということです。