忌み地・忌み山の話
2017/04/04
溜池からの水は各々の田に水路を使って分配されるが、
自然に水を流すと、当然に溜池に近い田のほうが多く水を得られる。
よって、争いが起こらないよう、各々の田に水を流す時間は、集落の集いで決めていた。
当然に各田公平に水か与えられているのではなく、
集落の身分や力関係で決定されていた。
ところで、水を流す時間を測定するものは何であるか?
それは「線香」である。
ある被差別階級に属するとされた人の話である。
集落の身分上、水が与えられる時間はわずかであった。
しかし、より多くの水を得たいと考えたこの人物は、「燃えにくい」線香で自分の時間を図った。
当初は上手く言ったが、結局線香に細工」していることが発覚し、結局彼の田には、水は与えられないことになったという。
娘は売られ、息子は無頼の徒になり、夫婦は自殺したという。
残された田は「せんこうやみ」として忌み田になり、放置された。
農地改良事業により場所ははっきりしなくなった。
注意:投稿者には、いわゆる「部落差別」を行う意思は無く、また反対するものです。
ですので、地名等については明記せず、一部は聞き及んでいる話の内容を若干修正しています。
雨が少なかった瀬戸内地域では、夏場に雨を祈る一方、川や池等が自然発生的に崇められてきた
「水主」というのは水を持っている人、ないしは水を蓄えている土地に対する敬意として送られた言葉である
水主神社が、大小あわせていくつか存在する
ところで、昭和30年代に、ある地元資本の商店が町の繁華街に出店したが
この際水主神社を潰して出店した
地元の住民からは恐れられ、公然と批判する者も多かったという
経営は上手くいかず、出店した店舗どころか、商店自体も倒産した
地元の人は「水主様の祟りだ」とうわさしあった
以後、その土地で、様々な店舗が展開したが、悉く商売が失敗した
現在では、主要な道路が移ってしまったので、往時の賑わいは無いが
それでも比較的有利な土地なのに、いっこうに買い手が無い状態が続いている
水主さまの祟りといって、冠婚葬祭はもちろん、地元の中学生が定期試験の時も
「成績が下がる」といってその土地の前を通るのを避けるという
カワチとか色々言われようあるし…
もう一つおまけ
竹は聖と汚れ、この世とあの世の境目とされ、神社の鳥居と同等の扱いになるそうな
そこで、刑場を囲うのも竹、部落を囲うのも竹、昔の裁きで謹慎みたいなのをくらうときは、場合によっては竹で囲ったそうな
(春日の局の息子が裁きを下してだったかソレで悩んで自害したのは本当だろうか…?)
姥捨て山とかも同じようなものだろうな…
口減らしに使われたような土地とかは汚れが強いとされて忌み地になったんじゃないのかな?
小埼沼の傍に建つ、古い神社。境内に生えている草1本抜いてもいけない。
枝も切れないので、荒れはてている。たたりがあるためだが。
大笹山の大入川側の山中に、すり鉢を伏せたような、どこから見ても
同じ形をした山があるという。昼なお暗い、寂しい所だという。
この山には、つい先程まで何物かがいたかのように、枯れ草が取り除かれ
草も生えていない綺麗に掃除された一角がある。あまりに人為的なものなので、
気味が悪いのだという。集落では今でも、一人では絶対に行ってはならないと
されており、必ず二人以上で登る。
以前、一人で丸山に登った人は、巨大な白ヘビを見たと後に語ったそうだ。
このヘビは山の主であり、主を見る事は凶兆とされている。
1989年発行の山岳ガイドより
これでもうネタ切れ。
年末、東京→福岡の西鉄「はかた」が深夜、三重県の名阪国道を走行中に乗用車に追突されたが
三重交通に応援を要請してお客を新大阪まで運んで、そこから新幹線で、博多到着はほぼ定刻だったそうな。
事故や車両故障など、緊急時の対応はやはり路線バスがいちばんだね。
普段から共同運行もやっている場合もあるし、共同運行やってなくても、路線バス会社同士
困ったときはお互い様、の精神で、深夜にもかかわらず、すばやく応援のバスと運転士を手配。
ツアーだったら絶対こうはいかない。最悪の場合、何時間も放置された挙句、自腹で目的地まで移動
なんてこともありうる。
↓事故の詳細はこちら↓
東京新宿←西鉄夜行バスはかた号→福岡天神
http://namidame.2ch.net/test/read.cgi/bus/1208941566/
群馬県の神流川の近くには、首塚八幡宮、胴塚稲荷という滝川一益と
北条氏直の激戦の戦死者を祭っていますし、有名な関ヶ原古戦場の柴
井には西首塚(胴塚)があり、JR東海道本線の敷設の際、埋葬者の白
骨が相当量出たといわれており忌み地です。
八王子城のある高尾山も前田利家、上杉景勝らに率いられた豊臣勢3
、5万が落として後北条小田原本城勢に大きな衝撃を与えた地ですが、
屍が山を覆った八王子城跡は里人が恐れて足を踏み入れるのを嫌う忌
み山になっています。
しかし、首塚八幡宮では頭の病気や怪我にご利益があると知られ、参
拝者も多く一概に忌み地・忌み山はマイナスの性格だけを持つもので
はありません。
忌み山も多くは、奈良吉野の妹山のように、859(貞観元)年前に
大名持神社が山腹にまつられてから、周辺地城の人々の崇敬をあつめ
た忌み山として入山を禁止されてきたような信仰の山、神体山として
の性格から畏れられた為で、信仰上のご利益はあったのです。
奥多摩のお話も日原川、巳ノ戸谷周辺にある「忌山御前」にまつわる
伝説が元になっている話であり、山神に悪事なす行いをしなければ、
そう怪異を招く事はありません。すべては人の業だと思いますね。
>>327
被差別部落問題は徳川幕藩体制から始まった士農工商の身分制度に
由来する比較的新しいものであり、戦国期の戦場処理は普通、当地
の領主・兵卒の仕事であり何等関係はしていません。
川中島合戦の時には、海津城主高坂弾正が川中島合戦犠牲者を敵味
方の別なく葬った塚がありますし、関が原合戦でも当地領主であっ
たこの地の領主であった竹中家が首塚を造り祀った事が同家記録に
見えるように戦奉行として大事な業務だったのです。
大阪の梅田のど真ん中のよみうりゴルフガーデン(太夫寺の東側)の北の方
舗装道路の中央に、異様な鳥居と大木があります。竜王大神といい、龍
神の巳神さんを祭り、銀杏の神木が生えています。
大阪には、他にも切ろうとすると祟りや怨念を起こすご神木があります。
↓
ttp://ss4.inet-osaka.or.jp/~tochio/shimboku-meguri.html
昔は迷信や伝染病が怖くて近づかなかったの。そんな所、日本中にあるよ。
怖がる事はない。ただ近づかなければいいだけだ。むやみに近づけば・・・。
頭のない奇形魚が取れる?
>>334
泳げる川ですか?
>>335
当初はご神域であったところがほとんど。あとから古戦場、処刑場
等がついてきたのでは?
神域=人が近づいてはいけない所=忌み地です。
清い=人が近づいてはいけない所=汚いですね。
このような比喩は、仏教や神道によく見られます。
水脈や地脈を読み取る事も、当時はできたんだね。不思議だね。
岡山に自衛隊の日本原演習場と言うのがある
ここに怨念桜ってのがあって切ろうとしたり近づくと祟るとされている
事実、この桜に関わって事故が起きていて演習場内にも関わらず手付かずで残されている
佐渡の羽茂には、たんぼの連なる中にぽつんと小さな森がある
木々の中になんかあるようだが近付けないのでよくわからない
そこだけは全く何も採れない土地だったそうで、通称「病田(やんめぇだ)」
昔、本間の殿様の奥方が殺された所らしい
まあ単に母体経由で胎児の正常な発生を妨げる野草が自生してるだけだったんだけど。
恐ろしい地名だァ・・・・・
モノホンです。なんたって長篠合戦の跡でつからね。骸骨が今でもでます。
埼玉県深谷市にも血洗島があります。
渋沢栄一記念館の近所なんですが・・・
昔は、利根川の氾濫もあったようですが、土地が高台にあったところは「島」と呼ばれていたそうです。
血洗島の近くにも、「島」が付く地名がいくつかあります。血洗島の近くに「上手計」、「下手計」という
地名がありますが、そこは、新田義貞が斬った坊さんの手が流れてきたところの上か下かで分けて
いると聞いています。(もしかしたら、お墓の上手、下手だったかもしれません。)
投稿者 渋ちゃん : 2005年09月15日 09:11
という。
江刺地方には、大武丸(大嶽丸)の子の人首丸(ヒトカベマル)にま
つわる話が多く、15・16歳の若武者として語られている。
達谷の窟を逃れた人首丸は、北上川の支流伊手川をのぼり、江刺市原
体の鬼渕に潜み、さらに藤里の愛宕山の洞窟に隠れた。しかし、追撃
は急で、米里の大森山(820メートル)にたてこもり、ついに物見山
(種山、870メートル)に陣をはった田村麻呂の女婿田村阿波守兼光
に討たれたという。兼光が取った首を見ると美少年。鬼ではあるが、
顔は人。兼光は不憫に思い、観音堂を建立して丁重に祀った。これが
のちに玉里に移された大森観音。地元民は、明治8年までこの地を人
首村と称して、人首丸を偲んだ。
また、大森山の頂上から100メートルばかり下った所に岩屋があるが、
ここが大森観音跡で、さらにやや下った鞍部に立っている2メートル
余の石碑を「鬼っこの墓」と呼んで落人供養してきたという。人首の
村名を忌んで米里に変更してから、次第に人首丸も忘れられていった
という。
ちなみに町名は消えたが小学校はまだ人首小学校が残っている。
まさかうちの実家があるところがこんなところで解説されてるとは。
ちなみに今も字名で「人首町」という名前は残っている。米里字人首町、ってね。
過去には宮沢賢治などもよく足を運んだらしいけど、今は過疎の波が……
ああ、スレ違いっぽ。すまそ。
に不動尊を構築したといいます。なぜなら、成田山は江戸の丑虎、つ
まり鬼門に当たる場所でありその押さえとして、不動尊が必要だった
のです。
しかし空港が出来て、金気である鉄道ができ、成田で押さえてた物が、
空港から流れ込むようになったといいます。1978年開港以来、東京を
襲った狂ったようなバブル狂乱と失われた10年の爪痕は記憶に新しい
ところです。
ちょっと成田山について調べる用事がありまして。
助かりました
秀吉が北条氏を攻めた時、この付近にあった北条方の下古城(シモフルシロ)
が落城した際城主の妻のお椿さんという方がこの畑で自害したらしいこの
畑は生姜を作っていたが自害したあと生姜を収穫すると血のように赤くなっ
たらしく それ以来この畑では生姜の栽培が禁じられている。
現在 畑の傍らに椿大明神の祠が祭られている。
広島県 芦田川・高屋川合流地点付近。
昔はこのあたりは海だったという言い伝えがある。はるか昔、漆を大量に積んだ船が
大風によって難破し、そこの山は漆山と呼ばれるようになった。この地では、昔の漆の
気が残っているために、訪れるものは皆かぶれるといわれていた。春から夏の季節の
変わり目に耕作のために田に入ると、足の脛に小さな発疹ができ、耐えられぬほどの
痛さ痒さに襲われる。やがては下痢や嘔吐を起こし、寝汗をかき肉は落ち、腹だけは
鼓のように膨れ、最後は足にむくみが来て落命する。
20世紀初頭、日本住血吸虫感染が原因であることが証明された。
昔、ここで惨殺された巡礼達の怨霊であるといわれており、石垣や門は残っ
ていますが荒れ放題のままで、町民は近づきもしません。
その岩から吹き下ろす風に当たると鼻血がでるのだそうだ。
まさか地底深くのウランが地上に露出する事は有り得ないだろうが、
もし何かの理由であるとしたら被爆したことに…
今は住宅街の隙間で何ごともなかったかのよーにちっさい
児童公園になっていて、ろくな石碑すらないけど
知ってたら全然遊ぶ気になれない場所。
磔の処刑があったところで、別名、地獄峠といわれた。今は通る人も少ない山道
になっているが、蒸し暑い日には狐火がでるという。
は国指定名勝天然記念物であり訪れた方も多いと思いますが、その近くにあ
る蝦夷の悲しい歴史を刻む達谷窟 小松の柵 石坂の柵 北上川東部河崎の
柵 黄海の古戦場 最北の芭蕉宿泊の地二夜庵 恐らく殆何方も訪ねる事の
ない日本刀発祥の地舞草神社 何故あの浅野内匠頭の供養碑が磐井の里にあ
るのか そして青春の苦悩島崎藤村の文学館等、実に地味だが実に深い歴史
のある磐井の里一ノ関市なのである。
そして近隣には薄衣 歌書等の魅力的地名の反面、鬼死骸 死人沢 一首坂
骨寺 人首(ひとかべ) 人首川等蝦夷の悲劇の地らしき地名も多い。衣
川柵の防衛線である宮城県の玉造川 そしてここ磐井川 最後に衣川を破ら
れた蝦夷の末裔は崩壊の一途を辿のである。
昔、橋の脇に松の大木が生えており、その枝は太く、道にせりだすほど立派なものでしたが、
枝で首を吊る人が多かった為、首吊り松と呼ばれていました。松は数十年以上前に切り倒され
ましたが、その跡地はずっと手付かずでした。やっと周囲の土地ごと買い取られて工場が
建っても、首吊り松の跡地周辺だけ、建設予定地の看板を立てたまま25年も放置されています。
近年、松の跡地から50Mほどの土地に家を建てた方の奥さんは、
越して1ヶ月ほどで亡くなりました。死因は偶然かも知れませんが首吊り自殺でした。
私の村には毎年8月某日に『有珠姫(うすひめ)祭り』という祭りがあります。
戦国時代にこの地域を治めていた殿様の娘の名前が有珠姫で、一向門徒側に味方したので織田方の領主から総攻撃を受けたこの地域の領主が息子とともに出陣先で討ち死にしました。
この時、城を留守していたのが有珠姫と家老衆とわずかな兵士で、たちまち城は包囲され、有珠姫は城兵と逃げてきた領民の助命を条件に自分の身柄と城の財宝のすべてを包囲軍に引き渡しました。
しかし約束は守られず城兵と領民は皆殺しにされ、それを見た有珠姫は仕込み杖を素早く取り出し近くにいた兵士を一瞬に切り倒しました。
一向門徒側の味方がいる領地まで逃げようと切り掛かる兵士を切り倒しつつ必死で逃げるも、一斉に槍で突かれ力尽き落命しました。落命してもなお手に握られた仕込み杖は血で赤く染まり、それを見た包囲側の大将が近くにあった寺の住職に祟らないように奉るよう命令しました。
住職は有珠姫の怒りを収めるよう領民たちが毎年有珠姫の命日である8月某日にお祭りをすることになりました。
女性6人が巫女衣装を着て仕込み杖が奉ってある本堂へ入り一晩中寝ずに会話をしなければうけなく私が今年初めてその役になりました。
中には何回もした人がいます。とにかく寝てはいけないのです。
お菓子を沢山もってきてお構いなしに大声で笑い、楽しいらしいのですが私は絶対寝てしまう自信があるのです…
どうすればいいのでしょうか…
長文駄文失礼しました。
とりあえず俺と結婚してくれ
お前ら知り合いかよwww
する。 数年後 写影機を持った双子が村を訪れる そして、死霊と化した
511と壮絶な戦いが始まる。果たして双子(澪と繭)は村を呪いからとき果たせるのか
【ProjectZero】零4(仮) 501ノ聲
なら何県の話しなのか真面目に聞きたいんだが・・・。
巫女スキーとかじゃなくて、その村に興味を持った。ググっても出てこなかったし、誰か詳細知ってる人いない?
こんばんは。以前に『有珠姫(うすひめ)祭』
についてカキコした者です。
その後ですが、見事に大役(?)を果たしました。
ええ、眠らなかったです。何処の村なのかは申し訳ありませんが言えません。
もし心ない人がそのお寺に悪戯とかしたら…と思うとどうしても教えにくいからです。
ただ、一向門徒の抵抗が激しかったといえば自ずと解るでしょう。
私がなぜ有珠姫のエピソードについて詳しいのかというと、幼少の頃から『昔話』として聞かされていたからです。
幼少の頃はなんて恐い姫だったんだろうと思ってましたが、大人になるにつれて有珠姫の性格やその短い人生での出来事を時代の背景から見てみると今の私だからこそ理解できるからです。
今では何回も巫女役を引き受けた人の気持ちが解るんです。
今年も有珠姫祭はありますが、私はもちろん巫女役を志願するつもりです。
もし、場所が解り祭の日にその場所に来れたのなら是非きてください。
有珠姫強すぎワロタ。
実は旧墓地跡です。また江戸城の裏鬼門にあたる魔道にも当たっており、
住人にきいた話では何か得体の知れない現象をみまわれた事があるという
ことです。
この前のGWに、香港の地元番組を見ていて、方位学上、建物自体呪われ
ているといってたのを覚えています。正面玄関が北東(鬼門)に当たるのは
致命的で様々な禍つ神が溜まってしまう構造になっているとか。
夜の毛利庭園は気をつけましょう。
の刑場があって、切断された首を洗ったとされる井戸があり、今も忌地
になっているとか。
また、西蒲原郡巻町の角田浜海水浴場に入り左側へと進んで、道路の下
をくぐった辺りにあります。登山口周辺、通称”白い家”も忌み地です。
この建物には様々な噂があり、別荘で子供が重度の精神病(もしくは
霊に憑依された状態)を世間から隔離するために建てられたといいま
す。子供の霊障があまりにも重いため、地下室(または2階)に幽閉
しましたがある日、幽閉されている子供が家政婦の隙を見て逃げ出し、
父親の猟銃で家族を射殺したとか、一家心中をしたという話もあり、
その後も、住み着いた若者が警察隊に射殺されたという話が跡を断ち
ません。建物は鉄格子が嵌められており精神病院跡ともいわれていま
すが、真偽の程は不明ですが新潟放送では今まで何度か霊の溜まるス
ポットとして報じられています。
明治初期、その山にゴズメという老女祈祷師が住んでいた。雨乞いや狐払いに優れ、村人は尊敬
していた。彼女の祈祷は小動物と米を山に供え、山神を体に憑依させて行うもので、霊験あらたか
だが危険の多いものだった。彼女はある日、村人に今晩、小屋に火をかけるよう頼んだ。祈祷の際、
強い荒神に体を取られ、災い封じに死を選んだのだ。件の村人は尊敬のあまり実行できなかったが、
朝には彼女の姿は消えていた。その後、山から狂女の笑い声が響くようになり、山に入ると
発狂したり死ぬ者が続き入山禁止となった
茨城の民俗っていう雑誌がある。そのかなり前のバックナンバーに
稲敷郡一帯の忌み地伝承の特集記事があり、筆者自身も以前、いわくの
ある畑を購入し、不幸な事が続いたらしい。
こういったいわくの起因は、やはり金目当ての殺人、首斬り場、落雷
などの事故や自殺現場が多い。それにしても竜ケ崎や江戸崎なんて田畑
ばかりなのに、よくもまあこんな陰惨な事ばかり過去にあるもんだと
それ読んで思いました。
その昔空海がとんでもない魔物をこの地に鎮めたらしい
今じゃ住宅地だが この地を中心に
近隣地区からも凄惨な事件が多数報道されてる
女化(おなばけ・茨城県牛久町 35.57/140.10)
死骨崎(しこつざき・岩手県三陸町 39.10/141.55)
死人沢(しびとざわ・宮城県宮崎町 38.40/140.40)
血野(ちの・大分県安心院町 33.26/131.20)
血田(けつだ・長崎県松浦市 33.23/129.40)
血吸川(ちすいがわ・岡山県総社市 34.42/133.47)
血洗島(ちあらいじま・埼玉県深谷市 36.13/139.15)
人首(ひとかべ・岩手県江刺市 39.13/141.18)
人柱(ひとばしら・長崎県松浦市 33.20/129.46)
人詰(ひとづめ・広島県西城町 35.02/133.06)
人切山(ひときりやま・青森県脇野沢村 41.12/140.48)
人喰谷(ひとくいだに・富山県城瑞町 36.27/136.54)
六首谷(むつくびだに・宮崎県延岡市 32.38/131.37)
あったような気がする。
やっぱあれもそうかな。いわれはなんかあるんだろうけど、わざわざ地元の人に聞くのも
何か恥ずかしいし。
ちなみにとある会社の中には社があって壬申の乱の古戦場の
霊をおさめているとか。
事故が多発したらおまいりしてるそうだ。
ちゃんと祀ったら忌み地でもその災厄から避けられるという
忌み地が民間企業内にある例なのかな。
こんな例って他にある?
漢字で書くと多分「子六溜」で、昔、子供が6人で遊んでて同時水死とか何とか。
扇状地の真ん中にある沼みたいなやつで、入れば泥に足をとられて動けなくなるようなとこだった。
今年の夏、写真の小さな個展を開く為に、地元のお地蔵さんを撮り歩いてたのよ。
そんで気づいたんだが、お地蔵さんの建ってる場所って、如何にも事故が起きそうな辻とか小さな橋の袂とか畦の川縁が多いんだよね。
そこで亡くなった子供とかの慰霊(鎮魂)を含めて、建立した人の「後世に事故がありませんように」みたいな気持ちが伝わってきた。
詳細として近くに神社が2つある。
忌部神社:小高い山の途中にある神社
岩戸神社:その地域の近くにある神社、多分無関係
祭祀集団の系列神社です。
測量・地図も得意としていたらしく、その神社は日本全国にあります。
今で言う、国土地理院みたいなものと考えればいいかもね。
札幌市南区 おいらん淵
真駒内と川沿の境界の豊平川においらん淵と呼ばれる淵がある。
由来には二つの説があり
1・遊郭から脱走した女郎がここで身を投げたという説。
2・林業に従事する人夫が上流から筏で下り、このあたりまで来ると大方無事に仕事を終えたとして、
親方から手当を支給されたという説。おいらん扶持。尚、更に下流には菊水という遊郭が存在した。
1の説をとれば、不吉な伝承がある忌み地とみなす事も出来るが、
2の説をとると、一仕事やり終えた男たちが今夜のお姉ちゃんを抱く手当を頂くという、おめでたい場所になってしまう。
そして、筏下りが行われていた頃のこの地域の近在に遊郭があったとは思えず、2の説の方が信憑性が高い。
ただし、付近には古くからの石材の切り出し場があり、そこで慰安婦を囲っていた等の事実があったとすれば、
1の説をとることも出来る。
有名なところでは高松塚古墳とか
また、その地の民が太古の塚を護るが如く不可触民化している例も
関東では埼玉、茨城などが特に…。
またその地形から中世に城郭に使用される事もあって、戦乱の歴史と共に
忌む恐怖の発生する条件が重なるのは不自然ではありますまい。
現在、多摩湖・狭山湖という人口湖が東京にあるのをご存知だろうか。
まぁ湖の北側はもう埼玉県で、西武遊園地のすぐそばで、桜の名所でもあり、湖を一周する遊歩道も整備されていて、なかなか良いところです……周回道路を飛ばすDQNもいるけどナ。
では、その何処が忌み地かというと。
かつて、昭和2年にダムに沈む前の狭山村というのが相当貧しい村だったそうで(なにしろ周囲を丘陵に囲まれた盆地で日照も悪い)、江戸時代には口減らしの為に姥捨てが行われていたとの事。
その「捨て場山」と呼ばれたあたりから、ダム工事の際にも風化した人骨が出たとの事。
現在も「行人塚」と呼ばれる碑が建ってるらしいが、東京都水道局の所有する水道用地ということで、立ち入りは禁止だそうです。
水気が多いせいか雰囲気は悪いけど、忌み地ってほどでもないかな……
参考資料;「多摩の怪談ぞくぞくガイド」けやき出版 2000年
人の住み始めた歴史は古くはないですが、それなりに農村社会が
できあがっていたようです。
最奥の石川村でも戸数は少ないですが、古い写真を見た限りでは
湿地や原生林もなくなり、水田が広範囲に拡がっていました。
そこの大木を焼くと、中から蛇が出てきて鳴いたという。
また、稗を作って俵にし、山から転がしたところ、
俵が山上に向かって逆転したという。
また、犬や猫を埋めた「マケ畑」という土地があり、
入ると祟るといわれている。
面河村では部落から離れた山腹にあり、所有争いがあった。
敗者はそれを怨んで深夜ひそかに獣類・鶏を生き埋めにした。
勝者はそれを知らず、作物を栽培したが不作で、
またその年に必ず病人・死人が出たり、天災に遭ったりという祟りがあった。
故にここが忌まれるようになったという。
「たたればたたれ、地主にたたれ、土佐のさこべは金でしけ」
と呪言を言いながら耕作すると、祟らないという。
首切れ馬が通った道をウマミチと呼び、通行を忌む。
最近の買い手も精神に異常をきたし、また、この山には禁忌の木として、
幹に枝が蛇のように巻きついているものがあったという。
土佐XXXの山 川が合流しているところ
川の合流地点に気味の悪い祠がある
おかしくなったのはS田の長男
木のある場所はしらん
出典:http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/min/1062292997/