もどり雪
2017/04/04
左側の谷から、強烈な北風に舞い上がった粉雪が吹き付けてくる。
ちょっとした吹雪のような「もどり雪」だった。
と――雪煙の向こうに人影が見えた。
道端にある山土場に佇んで谷の方を向いている。
ヒュゥゥゥ―と唸る風の音をついて、何事か話す声が聞こえてきた。
その人影が誰かと話をしているようだが、相手の姿が見えない。
近付くにつれ、影の正体が判明した。同じ在所の源さんだ。
「おぉい!そんな所で何やってるんだ?」
ハルさんが声を掛けると、源さんはゆっくりとこちらに向き直った。
ゴツゴツとした厳つい顔が、今は少し強ばっているように見える。
「……何だ、ハルさんか」
「何だとは何だ。それよりお前、誰かと喋っていたようだが」
「ああ、ちょっとな、翔太と話をしていたんだ…」
「何だって?」
ハルさんは、しばし呆気にとられた。
翔太と云うのは源さんの一人息子だが、
先年の春、7才になる前に小児ガンでこの世を去っているのだ。
元来、黙して語らずといった雰囲気の持ち主だったし、
寄り合いの席などでむっつりと押し黙っているのも、以前と変わりない。
悲嘆に暮れているような姿も、ついぞ見せたことがなかった。
翔太の葬式の時など、俯き加減で泣き続ける細君を尻目に、
居並ぶ参列者を、仇でも見るような目つきで睨みつけていた。
そんな源さんの立ち振る舞いを見て、ハルさんの心中に去来したのは、
――意地を張ってるんだろうなぁ…
という思いだった。
たぶん、そうすることで悲しみを無理矢理押さえ込んでいたのだろう。
あれから9ヶ月余り。今日までずっと、源さんは意地を張り続けている…
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で、そっちを向くと、すぐそこに翔太が立っていたんだ」
ハルさんは、無言で源さんの独白に耳を傾けた。
いつの間にか風は止んでいて、周囲の山は時が止まったかのように静まり返っている。
「翔太のヤツ、お母さんをいじめちゃだめだよ、なぁんて言うんだ。
そりゃあ俺も、翔太のことではアレを随分叱ったからな。
いつまで泣いているんだ、泣いてどうなるものでもないだろう、なんてな」
そのことは、妻を通じてハルさんの耳にも届いていた。
田舎の井戸端ネットワークは全く侮れない。
「悪いとは思ったけど止められなかったんだ。そうやって気力を奮い立たせてたんだな。
いや、逃げていたのかもしれない。で、気が付いたら会話が無くなってた」
源さんは顔を空に向けて語り続けた。いつになく口数が多い。
「あいつはそれが心配だったんだとさ。久しぶりに会った我が子に説教されるとはなぁ。
まったく、腹が立つやら情けないやら……なんだかなぁ………けどよ…」
そこで一旦口籠もり、そのまま空を振り仰いだまま立つ尽くす。
「…けどよハルさん。何でかなぁ…涙が止まらねえんだよ」
上を向いた目からジュワッと涙が溢れ出し、頬を伝ってこぼれ落ちたかと思うと、
源さんは、そのままオォォォォォ…!と声を張り上げて泣き出した。
我慢に我慢を重ね、意地を張り通してきた源さんの号泣は容易には止まらず、
後から後からこぼれ落ちる大粒の涙が、雪面にポタタタタ…と穴を穿つ。
そのすぐ向こう、真っ新な雪の上にポツリと一組だけ、小さな子供の足跡があった。
足跡はあっという間にかき消されてしまった。
しかし、それは源さんの心の内に消えることなく焼き付いたのだろう。
山を下りた源さんの厳つい顔は、近頃になく晴れやかだった。
もどり雪が、ほんの少しだけ時を戻してくれたのかもしれない。