黙って山へ入って還って来なかった人間の数も、なかなか少ないものではないようである。十二三年前に、尾張瀬戸町にある感化院に、不思議な身元の少年が二人まで入っていた。その一人は例のサンカの児で、相州の足柄で親に棄てられ、甲州から木曾の山を通って、名古屋まできて警察の保護を受けることになった。
今一人の少年はまる三年の間、父とただ二人で深山の中に住んでいた。どうして出てきたのかは、この話をした二宮徳君も知らなかったが、とにかくに三年の間は、火というものを用いなかったと語ったそうである。食物はことごとく生で食べた。小さな弓を造って鳥や魚を射て捕えることを、父から教えられた。
春が来ると、いろいろの樹の芽を摘んでそのまま食べ、冬は草の根を掘って食べたが、その中には至って味の佳いものもあり、年中食物にはいささかの不自由もしなかった。衣服は寒くなると小さな獣の皮に、木の葉などを綴って着たという。
ただ一つ難儀であったのは、冬の雨雪の時であった。岩の窪みや大木のうつろの中に隠れていても、火がないために非常に辛かった。そこでこういう場合のために、川の岸にあるカワヤナギの類の、髯根のきわめて多い樹木を抜いてきて、その根をよく水で洗い、それを寄せ集めて蒲団のかわりにしたそうである。
話が又聞きで、これ以上の事は何も分らない。この事を聴いた時には、すぐにも瀬戸へ出かけて、も少し前後の様子を尋ねたいと思ったが、何分にも暇がなかった。かの感化院には記録でも残ってはいないであろうか。この少年がいろいろの身の上話をしたということだが、何かよくよくの理由があって、彼の父も中年から、山に入ってこんな生活をしたものと思われる。
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出典:http://www.aozora.gr.jp/cards/001566/files/52505_50610.html 山の人生 柳田国男