夜光性の苔をむしり、前を歩く
2015/12/26
宿営地まで、まだ2時間も歩こうかという状況ともなればなおさらだ。
何となく思い出した話の真似をして、夜光性の苔をむしり、前を歩く
仲間のザックの、網状のポケットに押し込んだ。
低い山の森林でよく見る苔だが、夜歩かなければ、その光を見ることは出来ない。
僅かな光を捉えて紫に光る苔が目の前にあれば・・・という程度の
考えだったが、何となく思い出した話というのは、昔、南の島に出征した日本の
兵隊さんが密林を歩く際にも、このように光る苔を利用したというだけの事だ。
なんとなく愉快な気分になり、数分後には全員が同じ事をしていた。
目の前の紫色が歩調に合わせて揺れ、いつしか皆の歩調が揃っていて、
それに気付いた俺は、子供じみた愉快な気分を味わっていた。
その日のパーティーでは、俺の位置は行列の最後から二番目。
パーティーで歩く場合、最も気楽でいられる位置だった。
歩くリズムに身体が馴染むと、心が落ち着き、時間や距離の感覚が失われ、
身体を動かしつづける快楽に浸るような感覚になるが、その時もそんな感じだった。
ふと気付いたとき、背後の仲間の気配はなかった。
声をかけ、パーティーを止め、見回し、耳をすまし、毛穴まで開いて気配を探した。
少し戻ろうという事になり、今度は俺を先頭にして、今来た道を引き返した。
そして数分、前方から誰か来る。
立ち止まり、待った。
彼だった。
闇で目が利かず、顔を確認したのは、本当にすぐ近くまで来た時だった。
彼はそのまま素通りしようとする。
さっきまでの俺と同じように、歩くリズムに馴染みきった身体が欲するままに
足を運び続ける。
彼はずっと、俺のザックに挟んだ夜光性の苔の光に従って歩いていた。
俺のザックを確認するが、苔はどこにもない。
声をかけられるまで、俺のザックで光る苔だけを見て歩いていたと、彼は主張する。
だが、彼の前に俺は居なかった。
立ち止まった彼の足元に、紫に光る苔が落ちていた。
生えているのではない。
落ちていた。
彼はそれに導かれていたらしい。
翌日、山を歩いていると、靴紐に挟まった苔があり、俺はそいつを笹薮に捨てた。
下山し、帰宅して荷物をほどくと、邪魔なのでたたんでいたウェストベルトの
折り返しに、笹の葉と一緒に苔が挟まっていた。
窓を開け、苔と笹の葉を庭に放った。
それからしばらくして、庭の片隅に、紫に光る苔を見つけた。
平野で自生するような苔ではない。
放り出し、苔が落ちた場所とも違う。
が、ともかく紫に光る苔が庭に居座った。
もう10年以上、今でも苔はそこで光り続けている。
さすがに、笹は生えてこなかった。