天狗の嫁になった娘
2017/04/04
大正の末ごろというから、それほど遠いことではない。
新庄鉄砲町のフサヨという娘がある日ふっと姿を消した。
この娘は山が好きでしじゅう山菜取りやらきのこ取りに山へ行っていた。
その日もまつたけ取りに行ったのである。
毎度のことだから家の者も別に心配もしなかった。
それが夜もふけたが帰らない。
町じゅうが総出で捜しに出たが、行方はわからず、ふっつりと消息は絶えてしまった
。神隠しにあったのであろうとうわさしたが、数年たつうちにいつか人々の記憶も薄れていった。
ところが昭和四、五年のことであったという。
八月の二十三日から始まる新庄祭りの日、まごまごすると連れさえ見失いそうな人出の中にフサヨがいた。
トメという娘が、あっと思わず声を上げた。
「あれ、あれはフサヨちゃでねえか」
屋台見物の人の群れに交じって、トメは確かにフサヨらしい横顔を見たと思った。
その声に連れの娘たちもいっせいに伸び上がって、トメの指さした方をながめた。
「行ってみベ!」というひと声で、群がる人ごみをかき分け、かき分けようやくトメたちはその娘のそばにたどり着いた。
見ればぼろぼろの着物に蓑をかぶっている。
暑い八月のことだから、その姿はなんとも異様だった。
娘たちは顔をみあわせたが、トメが思い切って声をかけた。
「フサヨちゃ、おめ、フサヨちゃでねえの」
するとフサヨに似た娘はふり向いて、
「あれ、久しぶりだなあ」
といって喜んだ。
やっばリフサヨだったのである。
「今、及位(のぞい)の甑山(こしきやま)にいる」という。
及位といえば秋田の県境の山深いあたりである。
「まんず、あんな山の奥でだれと暮らしている」
口々に問われて、フサヨは困った顔になったが、
「おれ、天狗のかかあになったんだ」
と答えた。
その様子は行方知れずになったときよりももっとういういしく小娘のようであった。
「フサヨちゃ、若くなったみたいだねえ」
「ん、おらが若いのは、年に一度天狗にわきの下から血を吸われるからなんだ。それがいちばんつらい。あとはおっかねえことはねえよ」
ほうっと娘たちは吐息をついた。
「じゃあ、おら帰るから」
フサヨは歩きだそうとした。
娘たちはあわてて、
「フサヨちゃ、おれたちとすぐ家さ行こう。おめの父ちゃんも母ちゃんもどれはど心配しているかわからねえ、ちょっとだけでもいいから家さ行こう」
と、取りすがらんばかりに頼んだが、フサヨは、
「だめだ、おれ、天狗にごしゃかれる(叱られる)もの」
というなり、止めようもない力で人ごみに紛れて行ってしまった。
娘たちはもどるなリフサヨの家の炉ばたに詰めかけて、フサヨの話を父親や母親にして聞かせた。
しかし、それから娘の姿を再び見た者はなかった。
(話者はこの話を婆んちゃんから寝物語に聞いたという)。
山形県。松谷みよ子/文
天狗や山男に浚われ嫁にされる話は、よくありますが
「年に一度天狗にわきの下から血を吸われる」と「若々しくなる」とは。
初めて聞きました。しかし、いくらそれが「つらい」とはいえ若返れるのであれば
今の時代ならば、希望する人が居そうですね…。
出典:現代民話考 1 河童・天狗・神かくし/松谷 みよ子