山にまつわる怖い・不思議な話(山怖まとめ)

山の怖い話、不思議な話をまとめています。

サンショウウオの祟り

   

それはさておき、オオサンショウウオは広い地域で、ハンザキとかハンザケという別名で呼ばれている。体を半分に裂いても生きているという話からこのように呼ばれているらしいが、真偽は定かではない。鳴き声が人間の子供の様な声なので、「魚」ヘンに「兒(コ)」の字を当てて、「鯢魚(ハンザキ)」と書く。 
 日本に初めて進化論を紹介した動物学者の石川千代松は、明治34年、鯢魚について、いくつか報告書を出している。その中で、作陽誌という美作地方西部の記録誌に載っていた、ハンザキの伝説を紹介している。

 時は文禄初年(1593年)。現在の湯原温泉近く、向湯原村に、竜頭ヶ淵という深い淵があった。そこには巨大なハンザキが住んでおり、牛や馬を尻尾で叩き落とし、喰ってしまうのだった。
 ある時、
 「この村には大ハンザキを退治する勇気のある者はいないのか。だらしないやつらめ」
 と、六部らしい男の声がするのが聞こえた。
 すると、三井彦四郎という若者が、「何を言うか」と立ち上がり、短刀を手に持って淵に潜っていったのだ。
 しかし、彦四郎はいっこうに浮いてくる様子もなく、大ハンザキに飲み込まれてしまった。
 しばらくすると、彦四郎はハンザキの腹の内側から短刀で切り裂き、見事に退治して出てきた。ハンザキは陸に引き上げられ、その大きさはなんと3丈5尺あったと伝えられている。当然、これほどまでに大きくなるハンザキはいないのだが、石川によれば、ハンザキが水中でその大きな口を開くと、頭の幅だけでも1尺以上になり、大変大きく見えるものなのだと分析している。
 さて、その夜から彦四郎の家では不思議なことが起こり始めるのだった。
 夜中に家の戸を叩いてすすり泣く声が聞こえてくる。戸を開けてみても外には誰もいない。そして、彦四郎の家の者はバタバタと死んでゆき、遂には彦四郎まで死んでしまったのである。
 これは大ハンザキの祟りと村人は震え上がり、供養のために祠を建て、霊を沈めようということになった。これが現代にまで伝わり、今でもハンザキ大明神という祠が湯原温泉の入口付近に残っているのだ。そして、毎年8月8日に大ハンザキを模した山車が出る、ハンザキ祭りが盛大に開かれている。
 その伝説のせいか、湯原温泉のあたりの住民はオオサンショウウオを口にすることはなかったらしい。

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出典:http://www.ac.auone-net.jp/~bosigai/Mitsui%20Hikoshiro.html