山にまつわる怖い・不思議な話(山怖まとめ)

山の怖い話、不思議な話をまとめています。

ミソシヨベの血判石

      2016/04/21

石川県羽咋郡志賀町字梨谷小山の話。

昔、庄九郎兵衛という男がうち(梨谷小山の桜井重平家)に仕えとった。
この上の川(米町川)で馬に水浴びさせていたら、ミソシヨペ(河童) が馬の尾を持って水の中に引きずりこもうとした。
驚いた馬は、ミソシヨベのつながったまま馬屋へかけこんだ。

庄九郎兵衛も馬屋に追っかけて行ったが、ミソシヨベが見えん。
馬桶を起こいて見たら、桶の中にすくんどった。
「この野郎、人間を毎年とるのはきさまやろ。今日は承知ならん」
といって、うちのおやじ様をよばって、「おやっ様、こんなもの処分してもらわにゃ、在所のもんはみんな死んでしまう」と草刈鎌を持って来た。
ミッシヨベはこの在所のもんは手をかけんからこらえてくれと、石(現存する)にそういうことを書いて、指を切って血判しこらえてもらった。
それからお礼に毎日、魚を持って来て馬屋中に吊ってあったが食べ切れなかった。

それで庄九郎兵衛が「こんなもの持って来ても邪魔になるから持って来るな」というてから、持って来なくなったわけや。
それまで、毎日魚を持って来るたびに、血判の石に唾つけてこすったり、舌でなめたりして証文の字を消そうとした。
ミソシヨベは、毎年人間のキモを三つ川の神様に納めなけりゃ川に住めんことになっとったからや。

こうして証文の字はだんだん消えかかっていった。
おらちゃ(桜井重平氏は明治二十八年生まれ)、子供の時分には、だれが世話したか知らんけれど、血判の石に、白い木綿をかぶせて祭ってあったがや。
毎年さらし木綿かぶせて、手入れする人がおったった。

ところが百五、六十年もたったか(大正十二年)八月の三十一日に、三人の子どもが水浴びして一人が死んでしもうた。

これはちょうど血判の字が消える期日が到来したからにちがいないということじゃ。

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出典:石川県立郷土資料館編『能登志賀町の昔話。伝説集』