赤子の泣き声
ある秋の夜、仕事で山中にある施設に向かっていた途中のことだ。
近道をしようとして、普段は通らない林道に入った。
林が深くなるあたりで、ヘッドライトの中に人影が見えたのだという。
赤子の泣き声が小さく聞こえた。
どうやら赤ん坊を抱えた女性のようだ。
一瞬、通り過ぎようかとも考えたが、やはり見過ごせずに車を止めた。
ドアを開けると、聞こえていた赤ん坊の泣き声が、ふいに途切れた。
「こんな所でどうしました?」
こちらを睨みつけるような表情の女性に声をかけて近づいたその時。
彼女が抱いているのが、赤ん坊でないことに気がついた。
黒く萎びた、まるで干物のような何かだった。
立ちすくむ彼の前で、女は口を開いた。
そこから発せられたのは大人の声でなく、耳障りな赤子の泣き声だった。
必死で車まで後ずさり、そのままバックして全速力で逃げ出したという。
女性は追ってこず、ライトの中に小さくなりながら、闇の中に見えなくなった。
しばらくの間、彼は担当を同僚に交代してもらったのだそうだ。